2019年8月28日

135話 障碍者の方々が“働く”ということ

3年前に津久井やまゆり園で起きた、19人もの方々が殺害された事件。

その事件の被告の証言を見かけました。

意思疎通できない人は安楽死させるべき、という極めて自分勝手な発想の背景には『働けない人への憎悪』があったようです。

障害者年金や生活保護受給者に対して、批判的な方もおられます。

もちろん不正受給に関しては徹底してそれができない仕組みを作る必要があります。

しかし、制度自体を否定することはできません。

そもそも『働けない=悪い』というロジックは、働くことと稼ぐことの違いを混同していることに起因するのではないかと思います。

僕にとっての働くとは、『人のために動くこと』と定義づけています。

ですから、僕にとっての働くには必ずしも金銭が発生するかどうかは関係ありません。

“働く”の中にはボランティアやお手伝いといった、金銭が発生しないものもあります。

同じように“働く”の中に“稼ぐ”があると思うのです。

僕の価値観では、人はより多く“働き”かけることで、より多くの他者への影響が生まれます。

また、その影響はプラスのこともあればマイナスのこともあります。

その影響がプラスであればあるほど、より多くの“ありがとう”が生まれます。

こちらも僕の価値観では、人はより多くの“ありがとう”を言って、言われる人生を豊かな人生と定義づけています。

僕たちが障碍者の方々の“働く”を応援しているのは、彼ら彼女らがより多く『ありがとうを言い合える』ようになれるかのチャレンジであり、その手段として“稼ぐ”のお手伝いをしているのです。

もちろん障碍の重さによっては、稼ぐことには程遠い方もおられると思いますを

しかし、そういった方々がありがとうといってもらう価値がないのかというと、受け手であるこちらの考え方次第のように思えてなりません。

今回の事件のような事が二度と起こらないことを心から願います。