野球の試合でエラーをした時に、叱られるエラーと褒められるエラーがあるのをご存知でしょうか?
それは、エラーという記録がついたかどうかではなく、前に出たか出なかったかです。
積極的に前に出てエラーをしても、多くの場合は叱られることはなく、むしろ「よくやった!」という受け止め方をしてもらえます(もちろん時と場合によりますが)。
しかし、前に出ることなく待った状態でのエラーでは叱責されることも多いのです。
「待たずに一歩前に出ろ!」といった表現ですね。
これは日頃の仕事も同じだと思います。
何かをしようと前に出て失敗するのと、受け身になって何も得られないのとでは、雲泥の差があるのです。
今年の大河の主役である徳川家康。「三河武士は背中に傷がない」という伝承があるそうですが、背中の傷というのは敵から逃げた時に負うからそういった表現になっているのだとか。
もちろん現代において刀傷を負うことはありませんが、前に出る経験の積み重ねは大切なものです。
人生を年輪で例えることって、ありますよね。
樹木は細胞分裂を繰り返しその積み重ねが年輪となり、その幅が広いほどよく成長している年なのだとか。
人間に年輪はありませんが、理屈は同じなのだと思います。
同じ出来事でも年輪に幅を持たせることができる人とそうでない人。
例えば誰かに指摘を受けた時…
「指摘を受けた」という事実に感情を奪われてしまい、結果として「○○さんに指摘された」しか残らない人。
一方、その事実に対して自身の感情・そうなった仮説・本質的な課題設定・短期的長期的改善行動を整理できる人。
その積み重ねが自身の年輪の幅になるのだと思います。
今日一日をどの様な経験の積み重ねにするのか、それは一歩前に出た行動なのか、考えてみたいですね。