誰だって嫌な事より楽しい事をしたいです。
叱られるより褒められたいし、何もせずに生きていく方が楽ですよね。
しかし、快楽を得るためには必ず痛みが先行します。
『野球がうまくなりたい』というのは簡単ですが、
その“なりたい上手いのレベル”によって練習量は変わります。
例えば地方予選の1回戦を勝つレベルなのか、甲子園に出るレベルなのか、
甲子園で優勝できるレベルなのかによって、大きく練習量が異なりますね。
これを商いに置き換えると、理念やビジョンを語っている間は耳障りの良い言葉が並び、
何となく自己効力感は高まります。
しかしその理念を軸にしてビジョンを得ようとしたとき、ここの今からの1時間の
具体的行動の質と量が決まります。
もしかすると『確かに理念には共感しているけれども、そんなに厳しい水準を求められるなら
ここで働くことはできない。』という人もいるかもしれません。
この様に、思想(理念)を掲げている時にはできていた共感も、具体的行動になるとしり込みしてしまうのでは、
双方にとって理想的ではないですね。
そんなに厳しい水準ならば我慢できない というケースでは、痛み>快楽となってしまっています。
そんなに厳しい水準でも努力して乗り越えたい というケースでは、痛み<快楽という理想的な状態です。
乗り越えられるかどうかは理念に対する本質的な共感によって決まります。
この理念に共感するということは、どの程度の努力(自己研さん)が必要なのかを
社内で共有した方が良いかもしれないですね。
自戒の言葉