小さい頃から怪我が多く、よく病院に担ぎ込まれました
今もそうですが、病院に行くたびに『痛みに強い。』と言われます
でも、痛みって誰にも分からないですよね?
『めちゃ痛いっこれ、125イタミンやわ
』
とか、
『えっ?80イタミンで痛いとか言うたらあかんやろ』
みたいに
つまり、痛いと言う感覚って、自己申告だと思うんです
それと同じなのが、“努力”です
10年ほど前に『心が弱っている社員に“頑張れ”という言葉をかけてはならない』という事を耳にし、違和感しかありませんでした
当時は『いやいや、頑張ってないんだから、頑張れと言って何が悪い』くらいにしか思えませんでした
しかし、そこから色々と経験し、行動と向き合うことの回数を重ねる内に、『そもそも頑張るって、何だろう?』と思うようになってきました
例えば僕が『二次会以降の炭水化物を抜いている』と言うと、中には
『町さんは自分に甘いな普段から抜けばいいのに
』と言われる方も
いやいや、何か自分でやってから言えよと思いますが、それが僕にとってどんなに辛いか?なんて分からないですよね?
だから、努力って自己申告でいいと思うんです
『私が頑張っていると思っている』段階で、頑張っているわけです
それを『いや、それは頑張っていないとしか思えない』と言うのは本当にナンセンス
おそらくプロセスが飛んでいて、
『あなたは努力しているんだけれども、思うような成果が出ていないよね』
となりますし、更に言えば
①その努力によってどんな成果を期待しているのか?
②その努力の量で求めている成果を得られるのか?
の合意形成が必要ですね