今日は74回目の終戦記念日。
僕は祖母の生前に戦争の話を何度か聞かせてもらいました。
僕の母は倉敷が故郷なので、祖母は若い頃に水島空襲を目の当たりにしたらしく…
小さな僕を膝に抱えて話してくれました。
『防空壕に入って空を見上げるとB29が空を覆い、ばあちゃんたちのちょうど真上からゴマ粒みたいに爆弾を落として行ったんよ。
それが風に乗って水島の軍需工場を焼き尽くしたんよ。』
その夫である祖父は昭和20年8月に赤紙が来て、中国に到着した頃には戦争が終わっていたという、強運?の持ち主でした。
母が生まれたのはその翌年の7月ですから、もしかすると僕もこの世に生まれていなかったかもしれないですね。
そんな祖父母も他界し、戦争のことを知る人は身内からほぼいなくなりました…
こうやって風化していく中で、僕がいくら子供達に伝えても『生の声』ではないので響かないでしょう。
ただ、戦争を通して残された言葉には、今でも同じこともあります。
僕がこの時期に毎年思い出すのは、戦艦大和の乗組員だった方が残された次の言葉です。
若者よ、君たちが生きる「今日」という日は死んだ
戦友たちが生きたかった「未来」だ