経営者や人事担当者の方にお伺いしたいのですが、年々新入社員の方々の扱いの悩みが大きくなっていってませんか?
多くの管理職の方が『どこまで踏み込んで良いのか分からない。』とか『何を考えているか分からない。』と口をそろえます。
『腫れ物に触るように』どころか『腫れ物に触る事すらできず』になっている気がします。
確かに書店に行けば『繊細さん』という言葉が並んでおり、管理職の方にすれば『言ったもん勝ちやん!!』となっているかもしれません。
先日、NPO法人ASOVIVAさん(https://asovivaviva.org/)との面談の中で色々と考えさせられることがありました。
ASOVIVAさんは古民家をフィールドとした、子どもたちが社会で自分の足で生きていける扉のような場所です。
そこでは色々な理由で学校の門をくぐれない子どもたちが、自分で決め自分で責任を持って生活をしています。
先日の面談では『社会につけを回さないような教育をしたい』という話をしておられました。
話を戻して先ほどの『腫れ物に触れない上司』の問題。
これを遡っていけば学校の先生たちにも同じことが言えるのではないでしょうか?
当然体罰は良くないとして(この当然という概念もこの20年ほどで形成された価値観ですが)、先生が生徒を思ってした指導も親の解釈によっては全てが体罰扱いになる世の中です。
そうやって叱ってはいけない学校の中で過ごした時間を経て、子どもたちもいつしか学校を『先生の頭の中にある答えを探しに行く場』と考えるようになってしまいます。
そんな関係性が一生続くのならある意味幸せかもしれません。
しかし社会に出ると、今までに考えたことのない『お客様』という新キャラが出てきます。
学校の先生はアタリを答えると褒めてもらえますし、ハズレだったとしても叱られることはありません。
しかし新キャラの『お客様』は違います。
ハズレを引くと当然叱られますし、アタリを当ててもお金を払っているので褒めてもらえることはそうありません。
更にその手前には上司が立ちはだかります。
上司は別に部下の事を憎いとも思っていないのですが、アタリを当てても当然給料というお金を払っているので過剰に褒めることは少なく(価値の交換をしたに過ぎない)、ハズレを引くとお客様に代わってお説教をする事もあります。
それを今まで親にも先生にも叱られたことがない若者が、突然体験するから『上司は分かってくれない』となってしまうわけですね。
もちろんそれを社員教育でリカバリーするのが僕たちの仕事でもあるのですが・・・。
もしそういった話に興味がある方は、一度ASOVIVAさんのサイトをのぞいてみてください。