昨日は西宮ガーデンズに講演を聞きに行ってきました😊
昨年のビジネスプランコンペedgeの最優秀賞受賞者、ツナガリミュージックの武藤さんの話を聞きに😊
彼女たちは障碍のある子供達に音楽を通して自己肯定感を持ってもらう事業をしておられます😊
ただ単に『音楽を通して成功体験を積む』という話ではなく、その背景にはABAというしっかりとした理論を備えており、昨日の講演ではその辺りのノウハウも話しておられました😊
後半部分ではその生徒さんが教室でやっている歌の披露を😊
そこで改めて気付かせてもらったことがあります😊
【気づき①】自分の役割と生きる意味
障碍者の方々に対して、“意味”を求めるような馬鹿げた事件が起きるのも事実。
しかし、人の命に意味なんてなく…裏を返せば『意味のない命なんてない』ということだと思います☝️
僕たちのビジョンは『自分の役割に自信を持ち、互いの価値を認め合える社会を創る』こと☝️
昨日歌を歌っていた女性は、少なくとも彼女が歌うことで僕は手拍子をし、笑顔をもらえました😊
『歌が上手かったか?』と言われると、誤解を恐れずにいうならば決してそんな事はありませんでした😅
しかし、現に僕は動いた☝️
という事は、彼女には役割があったということになります😊
ある意味『僕のした単純作業がこの世界を回り回って、まだ出会ったことのない人の笑い声を作ってゆく。』って、凄いことじゃないですか?
誰にでもできることではありません😅
【気づき②】互いの価値を認め合える社会
ただ仕事がら思ったのは、彼女が大人になった時、社会はどのように受け入れるのだろうか?ということ☝️
ここ最近特に思うことですが、働くという事とお金を稼ぐことを混同している方が多く(と言うより僕も若い頃はそうだったかも🤔)、
極論言えば稼げない人は社会から淘汰されていっても仕方ない、となってしまうリスクがあることも確かです😭
しかし、昔読んだ本に『ひょっとこの起源』について書かれていたのを読んだことがあります☝️
ひょっとことは“火男”という字が当てられ、障碍者の方が夜中に火の番をしていたことから始まったのだとか😳
昔の人は夜は未だ他の動物たちなどから身を守る必要があったのでしょうか?
いずれにせよ、人間がまだ弱かった頃は皆んなが肩を寄せ合って生きることが必要だったのかもしれません☝️
しかし、人が強くなり経済が豊かになるにつれ、他者への関心や思いやりが無くなってきたのかもしれませんね😤
誰にだって探せば役割なんてあるはずで、それだけ余裕がないのが現代なのかも🤔
もしそうだとすれば、僕の解釈は『良くない』です😤
社会や経済が成熟したのであれば、人間はそれに見合う成熟をしなければなりません☝️
強い人だけが豊かになる社会ではなく、その強い人がほんの少しだけ隣の“強いとは言えない人”の為に仕組みを創る事はできないものでしょうか?
自分の役割に自信を持った人から、互いの価値を認め合える循環をうみだしたいものです☝️