2022年9月20日

381話 『3年後の自分』からの期待

高校3年生の時、大学は合格しているのに卒業が怪しくて何度か追試を受けた経験があります。

いわゆる“岸和田のヤンキー”というわけでもなく、特に追試の時などは本気で勉強したのに、どうしても数学が理解できずに危ない思いをしました。

大学4年生の時、就職は決まっているのに単位が足りなくて足しげく大学に通っていました。

自己理解として、学校のお勉強は決して得意な方ではありませんでしたし、今でも人より理解力は乏しいと思っています。

ただ、勉強する時間は同じ年代の人の中では多い方かもしれません。

定期的に試験を受けたり、今も週末は参考書片手にお勉強の時間を取ることも多いです。

 

 

伸び悩む若年層の方と話をしていて、違和感を持つことがあります。

『自己研鑽は大事だと分かっているが、何を勉強すればよいのか分からないから手につかない。』

確かにごもっともと思える部分もあります。

だからこそ自分なりの仮説を立て、そこに向けて努力すれば良いのでは?と問いかけたりもします。

僕自身は

☑今後、社会的にも自立が求められるので国が社会保険で老後の面倒を見てくれるとは思えない。だからこそ改めて金融知識が必要。

☑今後、営利企業とソーシャルビジネスという概念はなくなり、全ての商いにおいて共感性が求められる。だからこそファンドレイザーという役割が必要。

という仮説を持っており、そこに向けた自己研鑽に取り組んでいます。

これ自体が『今の』自分の収入や自社の収益に直結する事はありません。

人によってはもっと効率的な事をした方が?と思うかもしれません。

冒頭に申し上げたように決して勉強が好きというより、健全な危機感に基づく取り組みだと思っています。

 

もちろんこの仮説は外れるかもしれないし、自分の努力ではリカバリーできないほどに周りの能力が高まることも想定されます。

しかし、僕達がこれから社会から自立を求められたときに取れる手は3つ。

➀先ほどのように自分なりの仮説を立てて、最適と思える自助努力をする

➁仮説を立てる力がないなら、がむしゃらに時間をかけて自助努力をする

➂ただただ祈る。もしくは忘れる。

 

3年後の自分と、その周りに自分を信じてくれている人たちから恨まれたくないので、➀と➁を行ったり来たりしているという感じですね。