いつも通りの時間に僕が出社すると、何か違和感がある。
そうか、椅子の高さが合わないのか。
『誰か椅子の高さを変えたかな?このレバーを下げて、自分の座りやすい高さに・・・。あれ?レバーが動かない。まぁ、良いか。』
誰が座ったのか知らないけど、立ち去るときは椅子の高さくらい元に戻してほしいものだ。
それから1週間してあることに気づいた。
『あれ?また椅子が高くなってる?やっぱりレバーが動かない。』
そう言えば1週間ほど前にも同じことがあったような。
僕は隣の席の同僚に聞いてみた。
『ねぇ、椅子が高くなったと思わない?』
隣の同僚は不思議そうな顔をして首を横に振った。
どうやら自分の椅子だけの様だ。
そこから椅子の高さが気になり始めた。
どうやら少しずつ少しずつ高くなっているようだ。
毎日の上がり方は極端ではないものの、気づかないレベルで毎日毎日。少しずつ少しずつ。
おかしなことに、本来高さが変わるはずがない机の高さまで高くなっているような・・・。
一か月たったある朝、椅子が座れる高さではなくなったので僕は我慢しきれなくなった。
『課長、椅子が毎日高くなっていませんか?いつかけがをすると思うのですが?』
課長は顔を曇らせて聞いてきました。
『他の誰かもそう言っているのですか?』
確かに、僕以外の人はあまりこのことが気になっていないようだ。
まぁ、気にならない人には気にならないのだろう。
『いえ、それは知らないですが。とにかく僕に見合う椅子を用意してください。』
課長は答えました。
『イスガキミニアワセルノデハナク、キミガイスニアウチカラヲツケテホシカッタンダケド。ザンネンダッタネ。』
最近はコンビニには自動精算機が増えました。
たまに同じセブンイレブンでほぼ隣接しているのに、こっちは自動精算、こっちは店員さんに支払いというトラップがあったりしますが。
居酒屋の注文も、タッチパネルが増えましたね。
飲食店などはコロナの影響でコスト削減は必須ですから、こういったシステムの導入は生命線ともいえるでしょうね。
元々国も遅々として進まなかった働き方改革を一気に進めるきっかけになったという面もありますね。
ここで私達が考えなければならないのが、誰の為のどんな働き方改革なのか?ということ。
働き方改革の契機になったのが過労死であることは間違いないところです。
一時の毎月100時間残業なんて、今思えばマネジメントに向きあってこなかった経営者の怠慢と言えるでしょう。
『社員を過労死から守るため』という大義名分のもとでの改革でしたが、はたして社員を守るためにあるものでしょうか?
決してそうとも言い切れません。
確かにサービス残業が多かった時代の社員さんやご家族からすれば『これでようやく人らしい生活を送れる』と思ったことでしょう。
しかし、そこが一定ラインを超えたときに何が待っているでしょうか?
総労働時間が減るということは、椅子取りゲームで言う椅子そのものが減ってしまうのです。
会社としてはその椅子の高さを上げにかかります。
あまり好きな言葉ではないですが『優秀な社員だけ残ってほしい』というのが本音です。
当然会社として優秀な社員に残っていただけるための努力をする必要が出てきます。
だから既存の社員さんが座っている椅子の高さも徐々に高くしていきます。
ここで社員さんがとる選択肢は二つ。
椅子に座り続けられる努力をするか、自分に見合った椅子の高さの組織を探すか。
何の努力もしない社員さんは、その椅子の高さが毎日上がっていることに気づきません。
そういえば皆さんの椅子、昨日より高くなったと思いませんか?