2022年6月6日

346話 話し合えない若者たち

おじさんたちとの特徴として相手の事を責めたり、これは関西特有だと思うのですが『相手を落として笑いを取る』という文化がある気がします。

僕自身も正にそういう傾向があるので、時代に合わせて変化しないとなと思う日々ですね・・・。

会議などでも相手の意見を受け入れて、ポジティブな返事をしましょうというのは広く認知されるようになってきたと思います。

 

ただ、ここで気を付けないといけないのは『議論もせずにただただ相手を受け入れる』というのが本当に建設的な話し合いと言えるのか?ということ。

昨日は南河内郡にあるNPO法人ASOVIVAさんを見学に。

ここでは、いわゆる不登校になった子どもたちが自分と向き合い、他者や地域社会との交流の経験を積む場です。

僕自身も数年前から関わらせていただいておりますが、本当に大切な取り組みだと思います。

 

 

皆さんは、今年に入ってから涙が出るほどに他者と何かを話し合ったことはありますか?

自分の想いが届かない。

伝えたいことが伝わらない。

そんな経験ってもしかしたら子どもの頃の方が多かったのではないでしょうか?

 

ちなみに僕は小学校の時にお昼休みにはドッチボールをしたくて、ただキャプテン翼の全盛時ですから徐々にサッカーに市場を奪われつつある時代でした。

だから一生懸命にドッチボールの魅力を伝えるロビーイング活動をしていました。

星取表を作成し、どこのクラスには負け越している、どこには相性が良いなどを表にして、皆の目をドッチボールに向ける事に必死でした。

また、クラスで何か決めごとをする時にも自分の意見を通したいという思いが強く、何とか自身の正論をぶつけていたのを覚えています。

しかし当然そこには反対勢力があるもので。

一生懸命アピールしたところで全てが通るわけでもなく、そこで悩むわけですね。

どうすれば自分の“正論”=相手にとっての“異論”が全ての人の正論になるのか?

もちろん正論だけではうまくいきませんから、やはり普段からのコミュニケーションが大切だと身体に身に付けていったのでしょうね。

 

しかし今はそういった論議が不要なことも多いようですね。

団体でみんなで遊ばなくても、少なくとも家に帰れば様々な娯楽があり、その多くは自分一人でも成立するものです。

わざわざ帰宅してから摩擦を起こさなくても、無理に衝突せずに快適な時間を過ごすことができます。

だから話し合いの機会が少なくなる。

しかし社会に出るとそうはいきません。

『異を唱える』と『相手を否定する』が混同され始めると、建設的な議論にはならないですね・・・。

 

ASOVIVAさんは、子どものころからそういった経験を積ませることで社会とのハードルを下げようという活動をしておられます。

引きこもりの子どもというより、すべての人に当てはまる課題を解決できる取り組みだと思います。

そんなASOVIVAさんがクラウドファンディングに挑戦しておられます。

もしよろしければこちらをご覧いただき、ご支援ください!

 

https://readyfor.jp/projects/asoviva