「志」という言葉は昔から好きだったものの、その意味を他人に聞かれても答えられずにいました。
しかし最近になって、自分の中でようやく納得できる定義にたどり着きました。
それは、「志とは条件付きではない動機で動くこと」だということです。
この考え方に至る背景には、20年前の自分の経験があります。
当時は銀行員としてクレジットカードの獲得を進めていました。
昔は審査が厳しく、カードを作れる人が限られていたものの、徐々に審査基準が緩和され、今では誰でも簡単に作れる時代になりました。
この変化を目の当たりにし、「快楽を先に得る社会の怖さ」を実感しました。
本来、人は何か欲しいものがあれば、それを得るために努力して痛みを伴い、その後に得られる快楽を喜びます。
ファーストフードの増加もそれに似ています。
食事とは本来命をいただく場であり、調理はその為の儀式の一つです。
しかし今ではほんの数分で他の生き物の命が手に入る。
クレジットカードの普及やファーストフードの増加は、「努力の前に快楽を得られる仕組み」を当たり前にしてしまいました。
その結果、痛みを回避し、快楽を優先する習慣が身についてしまったのです。
この流れは子どもたちにも影響を与えています。
例えば、「褒めてもらえるならやる」「お小遣いがもらえるならやる」というように、条件付きでしか行動しない子どもが増えています。
そしてその延長線上にあるのは、「後輩の教育ですか?残業代や手当が出るならやります」という社会人像かもしれません。
志を持つということは、条件付きではなく、自分の信念や目的を原動力にすることです。
それを取り戻すためには、今一度「痛みと快楽の順番」を見直す必要があります。
努力の後に得られる喜びを噛みしめる価値を再認識することが、志を育てる第一歩ではないでしょうか。
≪今日の心がけ≫
痛みの先にある喜びを想像し、行動の原動力にしましょう。