小学4年生の子どもが言いました。
『お父さん、川遊びに連れて行ってくれてありがとう。でも、もう連れてきてもらわなくて大丈夫。』
『どうしたの、急に。』
『うん、川遊びは楽しいんだけど、将来の自分に役立つイメージがわかなくて。』
生意気な…
じゃなかった、しっかりしたお子様で。
先日ある会社でお聞きした話です。
ベテラン営業マンのAさんが入社間もない若手Bさんと同行訪問したのだとか。
その時にBさんからまず聞かれたのが『同行訪問の目的は何ですか?』とのこと。
戸惑いながらもAさんは『同行する事で業務を理解してもらえれば。』と答えたそうです。
確かに、私が若い頃は先輩に同行させてもらえるだけで嬉しかったので(厳密には社内にいたくなかった)、同行すること自体が目的になっていました。
Aさんは改めて目的を聞かれても明確な答えを用意できてなかったことを反省したそうです。
その後3件ほど同行した後に帰社する車中、Bさんの顔が曇っているので、Aさんが理由を聞きました。
するとBさんは『今後も同行というのは頻繁にありますか?』と言ったそうです。
Aさんは不満に思いました。
一人でも訪問できるところを、わざわざリスクを背負って同行してあげているのに・・・。
ここでいうリスクとは、もしかするとお客様からすればB君の挨拶が気に入らないとか、Aさんにだけ聞いてほしい話があったかもしれないという意味でした。
それでもAさんはぐっとこらえて、
『同行中に何か不安や不満になることがあったという事?』と聞きました。
するとBさんからの返事は(Aさんにとっては)意外なものでした。
『いや、不満とかないんですが・・・。自分が役に立てる場所がない気がして・・・』
デジタルネイティブの若者にとっては、『最短・最適・最効率』が染みついています。
そこに輪をかけて働き方改革の波が押し寄せ、短時間で効率よくすることが求められています。
一つ一つの物事がどんな目的と目標を持っているのかは、とても大切な成功要素となりました。
意味の見えないディスカッションや、それをすること自体を目的化することは避けたいものです。
私達が若い頃に受けてきた『時間を共にすることが大切』『背中を見て盗め』は、『時短』と『マニュアル化』とは真逆の位置にあります。
そう考えると確かに同行訪問も、しっかりと意味を共有した上で臨みたいものです。
そういう前提で。
“今、目の前にある全てのこと”が、“今、全て何かの役に立つ”ということはありません。
もし、“今、目の前にあるものすべてに意味を持たせる”のであれば、恐らく新入社員は不要です。
今の社員が、今のご飯を食べる事ができる方法を考える方が、よほど“効率的”とも言えます。
そうではなく未来への投資をする事が目的ということも多分にあるでしょうから、お互いが少し先を見て物事を判断できるようになると良いですね。
まじめな方ほど『自分が同席する上での役割』を求め、自分を苦しめたり、冒頭の川遊びのように今の自分の視座で要不要を判断してしまいがちな世の中。
それもとても大切なことかもしれませんが、『今、そこにいる。』ということで意味があることも理解してほしいですね。