コンサルタントとしても経営者としても『寄り添う』とか『親身になって考える』という言葉が好きです。
今までも比較的『情熱的にとことん、あなたがあなたを諦めるまで、早朝でも夜中でもお付き合いします。』
のスタンスでした。
ただそのスタンスを客観的に見たときに違和感を持つようになりました。
典型的なのが研修のスタンスについて。
例えば集合研修などで目標を設定したとします。
それをLineグループなどで毎日のように追いかける。
徹底的にリマインドして相手が忘れていたら夜中でも追及する。
それって経営者にとっては『自分がしなくても良いから助かるわ~。』となります。
さすがに最近はそれも『労基の問題があるからやらない方が良い』となりましたが、
労基の問題がなくてもやるべきではないと思っています。
もちろんステージ的にそれが必要なタイミングもあるとは思いますが、
それがスタンダードになってしまう弊害の方が大きいのでは?と考えています。
例えば小学校2年生の子どもが挨拶をしないのならば、挨拶をするまでこちらから
先に挨拶をするなどして、相手の習慣化に“寄り添う”必要はあると思います。
それは挨拶の意味や大切さが分かっていないから。
しかし大人にもなって挨拶しないのならば、意味が分かっていないのではなく
本人に『挨拶をする目的』がないからだと思うんです。
どんな自分でいたいのか?なりたい自分像と挨拶の因果関係は?がないと、
結局やらされ感しか残らない。
やらされ感しか残らないから、うるさく挨拶しろと言われている間はするけど、
言われなくなったらしなくなる。その繰り返し。
経営者の方の中には『研修後に宿題を出してもらって、それを追いかけてほしい。』と
言われる方もおられます。
もちろんそれが必要なタイミングもあるとは思うのですが・・・。
それって『コンサルタントが儲かるだけですよ!?』とお伝えしています。
何となく頻繁に連絡をくれたり“寄り添っている風”の研修をして、毎月毎年同じ内容を
繰り返し繰り返し“根気強く丁寧に”お伝えする。
ただそれを客観的に見たときに
『社員の構成は毎年変わっているから、受講者にとっては
毎年新鮮な話としてその場で盛り上がるけど、毎年聞いている既存社員はそれを自分たちで
できるようになる必要があるのでは?』
と思ってしまうのです。
コンサルタントにとっては“良いお客様”だと思います。
でももし自分の子どもが小学校2年生の時に教えてもらっていたことを、二十歳になっても
繰り返し繰り返し教えてくれている(?)人に対して
『先生、いつまでも根気強く教えていただいてありがとうございます。』
と言うでしょうか?
もしかすると『以前は情熱的に指導してくれていたのに、急にドライになった』と
思われるるかもしれません。
自己理解としては歳を追うごとにお客様や自社のスタッフの成長には関心というか
責任感が出てきたように思っています。
それだけに互いに同じ時間を使うのならば去年よりは互いの役割を昇華させ、
それぞれの自立を促したいと思っています。