2019年5月21日

【第36話】 おっちゃんとの別れ。

小さい頃は『たぁくん』と呼ばれていました。

極度のおばあちゃんっこで、夏休みや冬休みはほとんど大阪市内にあった

おばあちゃんの家に泊まりに行ってました。

‟ほとんど”というのは大げさな話ではなく、本当に夏休みが40日あれば38日はおばあちゃんの家という感じで

そこにはおじいちゃんと、母親の弟である‟おっちゃん”が同居していました。

僕は父親から働く事の大切さやどんなに忙しくても子供(僕)との時間を持つ事、

母親からは他人に負けない気持ちを教えてもらった気がしています。

その次の人格形成の柱はおばあちゃんに、相手の気持ちに立つ事の大切さ、

おじいちゃんには年をとっても努力する大切さを教えてもらいました。

そして、自分のパーソナリティを説明する時に欠かせない‟人を笑わせる事”に関しては、

父親とこの‟おっちゃん”から教えてもらいました。

人間なんて一から全てを生み出すことは、そうそうできるものではなく、

大半が過去の自分の経験から得た知識で成り立っています。

そういう意味では僕の‟ネタの持っていきかた”の大半はこの‟おっちゃん”から教えてもらいました。

生涯独身だった‟おっちゃん”はおばあちゃんやおじいちゃんが亡くなった後は僕の両親のもとで

暮らしていましたが、最期の方は近くの病院に入ってました。

何年か前に癌が見つかってから治療を繰り返していたのですが、この数カ月は本人の意思で治療を止め、

静かな最期を望んだようです。

先月お見舞いに行った時には既によぼよぼのおじいちゃんになっていて、ある意味衝撃的でした。

今までも祖父母が他界する前は『人ってこんなに変わってしまうのか』という衝撃と切なさと、自分の将来への不安が

入り混じった複雑な感情を抱きました。

が、今回の‟おっちゃん”との別れは、改めてその最期について考えさせられる時間でした。

面会はほんの20~30分程度でしたが、昔からの‟おっちゃん”のユーモア(なのか、本気でボケているのか分からない事もありましたが)と、僕たち夫婦への感謝の言葉をもらった事は、一生忘れないと思います。

取り留めない文章になりましたが、‟おっちゃん”からもらったパーソナリティを僕はこの世で活かしていかないといけないんです。

‟おっちゃん”、またね。バイバイ。