小人閑居して不全をなす
(しょうじんかんきょしてふぜんをなす)
とは、
『凡人は暇を持て余すとロクなことを考えないのだから、ちゃんと働けよ』という意味と捉えられがち☝️
実際僕も昔はそう思っていました😅
しかしこれは、循環論法といって誤った解釈です☝️
循環論法というのは、ある事柄を定義づけようとしたときに、その説明の中にその事柄が含まれていることを指します☝️
この事例で言うと、『凡人が暇を持て余す→ロクな事を考えない』という理屈ですが、
『ロクな事を考えないやつだから、大した役割を与えられず暇を持て余す』という無限ループが含まれているわけですね🤔
ですから、正しい解釈は『凡人は他人の目が行き届かないとロクな事をしない』と考えるのが正解☝️
なぜ日曜日にそんな事を考えたのかと言うと、最近自分の中であまり良い思考のサイクルにならない事が多く、
理由を探って行った時に『あっ、今の俺、小人が閑居している』と考えたわけです😭
しかし、先ほどの様に『暇を持て余しているからロクな事を考えない』のではなく『他人の目が行き届かないからロクな事を考えない』わけで😅
とは言え50歳にも手が届こうかというおっさんが『誰も見ていないから』なんて言ってられないわけで😭
だからこそ、改めて理念やビジョンって大事だなと思うわけです🤔
常に心のお天道様に
『みんなの分かると分かり合えるのお手伝いが出来ているか?』
『自分の役割に自信を持てる行動が出来ているか?』
『互いの価値を認め合えているか?』
を答えられるようにしたいですね😊