2019年11月20日

206話 当たり前と有り難う。

僕は毎朝、家の玄関にある神棚に手を合わせてから出社しています😀

無宗教なので神様仏様キリスト様に何かを報告するでも、お願いするでもありません😅

ただ手を合わせ、『外出できる事への感謝』を伝えています😀

神棚の横には小さな石があります☝️

直径4センチのこの石は、3年前の春に僕のお腹の中から摘出されました😅

その”胆石君”にも一緒に手を合わせている事になります🙏

なぜそこに置いているのかというと、その手術の際に全身麻酔を受け、ほんの一瞬ですが”死”を意識した事があったから🥺

その日から僕は、『人間は簡単に死ぬ。それも、思いもかけないタイミングで。』という事を考えるようになりました🤔

 

全身麻酔をしたことがある方なら分かると思いますが、全く身体が動かない、自分でも息ができないという状態になります😳

そして僕の場合、手術が終わり目が覚めた時、ほんのわずかなタイムラグですが、

人工呼吸器から酸素が来ない状態になり、パニックになりました😭

後から調べるとそういう事はたまにあるらしく、医療ミスと言えるほどの事でもないようです😅

しかし、現にそれを体験した僕にすれば、本当に”有難い”でき事でした😅

 

手術が決まったのは前日の晩であり、まさか自分が翌日には死を意識する事になるなんて、思ってもいませんでした😳

だから退院してからの僕は、人生には何が起きるか分からないのだから、

一日一生の精神で、人事を尽くして天命を待つ

という気持ちで毎日を生きよう、と心に誓いました☝️

自分に本当の最後という瞬間が訪れる時、周りに人がいてくれる人生が良いのか?

一人でひっそり幕を閉じるのが良いのか?を考えると、やはり人がいてくれる方が良いですし、

その為には周りの人に感謝して生きよう、と考えました😭

 

その事があったからかどうか分かりませんが、お陰様でそこから周りに仲間が増え、にぎやかに過ごさせてもらっています😊

しかし、たった三年で僕はその気持ちを無くしている事に気づく事もあります🤔

周りに人がいるのは当たり前、生きている事も当たり前😤

当たり前になってくると、不満が出てきます😁

なぜ自分の思い通りに動いてくれないのか?

なぜ自分がこんなしんどい思いをしなければならないのか?

特に身近だと思っている相手にほど、感謝の気持ちを失いがち😭

一緒に働こうと言ったその日の感謝を忘れ、その人がそこにいるのが当たり前😅

それどころか、近ければ近いほど“あら”が見えてきます😭

入社してもらう時に感謝することは難しくないですが、そこから“感謝し続ける”ことは難しいのかもしれないですね😅

人間は弱い生き物ですから、毎日が『当たり前と有難い』の繰り返しなんだろうなぁ😅

ただ、当たり前になった瞬間に、僕の理想の情景からは遠ざかる事は、心が気づいています😊

だから毎朝手を合わせます🙏

『今日もありがとう。行ってきます。』